inductor's blog

nothing but self note :)

周りの人に感情表現するのは悪いことなのか

はじめに

マッチングアプリで知り合った女性と性格の話を色々して、これまでの自分の仕事のやり方とか、一般的に語られるエンジニアとしてのアウトプットのやり方とかに繋がる学びの機会があったのでつらつら書いてみる話です。

前置き

MBTIという性格診断の仕組みをご存じでしょうか。一般には16 Personalitiesとして知られ、いくつかの質問に対して答えることで16種類の性格タイプの中から自分がどれに当てはまるのかを診断することができます。

www.16personalities.com

この診断方法にはいくつか批判される点があるようですが、少なくとも自分には当てはまるところが大きい性格にカテゴライズされていることや、周囲の人でも似たような話になることが多いのでたびたび引用することが多いです。

ちなみに自分はENTP型で、このタイプの人類は議論が好きで、あえて批判的な立場に立って議論を発散させることで発想を広げたり、厳しい環境の中でもその機会を生かして自身の学びに変えたり自己成長させたりみたいなことをするのが好き、なようです。知らんけど。

また、議論に熱中しすぎると意図せず他人の感情に踏み入れたりしてしまうこともあるようです。これは特に自分が10代のころによく経験したように思います。今はそのころに比べたらだいぶ丸くなったと思いますが、それでも気を付けないとなぁ、と思っているところです。

さて、この性格診断、大きく分けると2つの人種がいることに気づきます。1つ目は頭文字がEのタイプです。これはExtraverted(外交的)な人たちのことで、他人とのコミュニケーションを好むタイプとざっくり言ってよさそうです。2つ目は頭文字が Iのタイプで、こちらはIntroverted(内向的)な人たちのことを指します。これは本当に大きな違いで、私は完全なるExtravertedで、人類みな同じだと思っていた時期もあったので、過去コミュニケーションで失敗してきたことは否定できません。

その辺についてはまだ10代のころにこれを見てからいろいろ気づきがあったなぁ、と記憶しています。

www.ted.com

感情の表現方法と性格の違いの話

前置きが長くなりました。こうしたコミュニケーションの問題、仕事してると普通にぶつかることがあります。特にチームでこの人性格合わんなって人はどうしても誰かしらいるわけです。

最近、INFPの方とお話しする機会があって、結構長く話してた(コロナのご時世なので対面ではなく通話でした)のですが、感情表現に関して言えば完全に逆の立場の方で、その違いを色々話すことでかなり話が盛り上がりました。

ちなみにINFP型は、理想主義、口数が多くはないが言語能力にたけ、様々な人の意見を聞く、損得よりも名誉や美徳を重視し、自分の意志で動く、などといった特徴があるそうです。加えて、全人類の中ではかなり数が少ない存在みたいですね。

まあそんなわけでものの見方についてもいろいろ違いがあるわけですが、僕と彼女の場合は批判に対するとらえ方や、失敗に対する考え方などが大きく違っていて、僕は失敗するために様々な試行を繰り返し、そこから学ぶ(言語だろうと業務だろうと)ことを重視している一方で、相手はそうした失敗は精神的には耐えるのが難しい側面があるという考え方をお持ちでした。

ことエンジニアリングに関して言えば、間違いなく前者の僕のほうが性格的には向いているように思います。実験を通してそこから得られた考察、フィードバックをもとに次の改善につなげるという行為はエンジニアリングそのものであり、一生それをやってたら精神的に耐えるとかそういう話じゃないだろう、という理屈です。

一方でINFPはカウンセラー、大学教授、内科医、リクルーターなど人と関わりのある職業が向いているようです。人の気持ちに寄り添って洞察力の高さを発揮できるからでしょうか。ほかにも芸術家や脚本家など、クリエイティブな表現ができる職業も適性があるらしいですね(ちなみにこれまでさんざんMBTIありきで話をしてますが、性格診断がすべてとは思ってません。あくまで指標なので・・・)。

議論における言葉の選び方

議論において言葉を選ぶべき、とか、逆に余計な感情を持ち込むな!みたいな話はたびたび話題に上がるとおもっていて、特にこにふぁーさんの記事は僕もたまに読み返しています。

konifar-zatsu.hatenadiary.jp

konifar-zatsu.hatenadiary.jp

結構これって難しい技術だと思っていて、というのは、「余計な議論はやめるべき」という言葉によるコミュニケーションを効率化したい気持ちと「できるだけ相手に配慮した言葉遣いで」という、日本語においては多くの場合コミュニケーションの情報量が増えやすい方法を同時に取り入れないといけないからです。

僕みたいな「いい感じの結論を雑に出したい」と思っている人間にはこれはコミュニケーションコストがでかすぎて、正直あんまりやりたいと思いません。もちろんチームで仕事をするうえで必要なリスペクトは払うべきなので、そういうところは踏まえたうえでいい塩梅のコストに落ち着かせたい、という意味で、完全に効率化された文章だけを送り続けるのはドライすぎるし、何よりもギスギスしてよくないので・・・。

ただ、頑張って気を付けていったところで言い方が悪いって言われてしまうとなんとなくもやっとするなんてことは過去に何度か経験したことがある。「そりゃ言い方を気を付けないといけないのはそうだけどさ、相手も相手でちゃんと言葉の表面じゃなくて中身を受け取ってくれたっていいじゃん」って思ったことありません?僕はあります。

こにふぁーさんのブログを引用するとすれば、以下のような表現で傷ついてしまう人に会ったことがあるので、僕にはもうよくわかりません!!!という気持ちにその時はなった・・・。

「目的は◯◯ですよね?今話してることは目的からちょっと遠そうな気がするんで、次いきませんか?」

アウトプットファーストに対する批判と僕の考え方

ツイッターとかはてブとかエンジニアのコミュニティとかを見てると、「成長したい」とか「アウトプットをもっとしたい」といった声を見ることは珍しくありません。アウトプットファーストを掲げていろんな取り組みをしている人もいます。

僕は特になんもしなくてもそれなりにアウトプットをしてるので苦労してないけど、特に上記で言うI型の人は必ずしもそうではないのかなと考えることは多くて、実際知り合いの中でも、ツイッターに疲れてやーめたって言ってる人とか登壇なんて別に自分のエンジニアリング能力が直接高まるわけじゃないのでやったってしょうがないって思ってる人もいます。それはそう。

アウトプットファーストの本質はその過程にあって、インプットするためのアウトプットだったりとか、普段自分が言語化できてない非正規化された知識をうまいこと整理するための媒体に過ぎないと思えば、おのずと適用すべき範囲というのは決まってくるんだけど、それを考えずにとにかく手法にとらわれた結果、今の自分には必要ないと辞めてしまう人が世の中的には多いんじゃないかなという気がします(まぁ、自分みたいにコミュニティで発信することが1つの業績になるタイプの人なら、それはそれとして仕事みたいなもんなので別物だなとは思いますが)。

若干生存バイアスにまみれた発言かもしれませんが、インプットがまともにできてない人はアウトプットすることなんてないわけなんですよね・・・。「私が発信したところで・・・」は2つの意味があって、1つ目は本当に何も発信することがない(何もやってないので)という話と、もう1つは純粋に自己肯定感と周囲からの評価がすり合わせられてないパターンです。後者はいいチームと巡り会っていい感じの組織でいい感じに成長してれば勝手にいいエンジニアになっていくと思います。

はー、なんもしたくない・・・(虚無)。まとまりが悪いような気もしますが今日はこの辺で。